教員にとって最大の喜びは生徒とのふれあいである。 教科活動はもちろんであるが、部活動での出会いはまた格別なものがある。 私はいろいろな事情があり高校時代は部活動に打ち込むことが出来なかった。 大学2年生になってから始めた剣道。 教員生活の最初から最後まで剣道を通して生徒と関われたことが 良い思い出になっている。 今でも剣道部の卒業生との交流があり 喜びを味わっている。 |
昭和37年4月 新任教員として愛知県立豊田西高等学校に赴任。 剣道部顧問となる。 愛知県高等学校体育連盟西三河地区 剣道部委員となる。 |
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稽古の途中休憩 この中に後に中学校の教員となり剣道部顧問になった者もいる。 |
昭和39年3月卒業生 |
昭和39年4月 愛知県立知立高等学校に転任。 着任当時剣道部が無いため卓球部顧問となる。 生徒を嗾けて希望者の署名を集めさせ、生徒会の規約で同好会としての活動が2学期から認められる。 実績が認められ、翌40年4月から正式に部として活動が認められる。 剣道場はもちろん体育館も無く稽古はグランド。 |
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昭和41年3月卒業生 |
県大会4位に入賞 第13回東海大会に出場 |
昭和42年3月卒業生 知立神社奉納剣道大会優勝 |
昭和42年4月 愛知県立半田商業高等学校に転任。 剣道部顧問となる。 毎年地区予選では好成績を残し、県大会には出場するが・・・ |
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昭和43年3月卒業生 |
昭和44年3月卒業生 |
昭和45年3月卒業生 |
昭和46年3月卒業生 |
昭和47年3月卒業生 この頃から女子の部員が・・・ |
昭和47年3月卒業生 中日新聞の記事 |
昭和46年4月 愛知県立東海商業高等学校に転任。 新設校で1年生のみ(生徒数=225名、教員数=10名)。 教師と生徒が色々相談の結果、先ず初年度は生徒の希望、指導できる教師のいる部活動を優先して設立。 剣道部は初年度からスタート(男子=2、女子=7)することになり顧問となる。 稽古の場所も道具もない・・・ 中学校での経験者は一人も居ない。 竹刀だけ購入し、グランドで素振りから指導を始める。 次年度、武道場が完成。(体育館はまだ無い) 順調に成果が上がり県大会出場の常連となる。 |
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昭和49年3月卒業生 |
昭和50年3月卒業生 |
昭和51年3月卒業生 |
昭和52年3月卒業生 |
昭和53年3月卒業生 |
昭和54年3月卒業生 |
昭和54年4月 愛知県立津島北高等学校に赴任。 剣道部顧問となる。 この頃から職務の関係もあり、余り稽古に出られなくなった。 昭和60年4月情報処理教育センターに転任 昭和63年4月愛知県岩倉高等学校に転任 平成5年4月情報処理教育センターに転任 平成8年4月愛知県立一宮商業高等学校に転勤 平成12年3月定年退職 この間も高等学校体育連盟剣道部委員として剣道と関わりを持つことが出来た。 |
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第17回東海高等学校総合体育大会 |
昭和58年度全国高等学校体育大会 第30回全国高等学校剣道大会 |
昭和58年度全国高等学校体育大会 第30回全国高等学校剣道大会 |