季節外れの吉野山









吉野山

吉野山に行くならば、桜の季節が良いことはよく分かっているが、大変な渋滞で身動きできないのではと思いこんな季節を選んだ。

この季節は新緑が美しく桜とはまたひと味違った良さがある。



(走行距離:約320q   歩数計:約15,000歩)






総本山 金峯山寺きんぷせんじ


 金峯山修験道の総本山。金峯山は大峯山・山上が岳にいたる山々の総称で、山上が岳の大峯山寺への玄関口の役割を担っている。
役行者の開基といわれているが、創立年代は不明。平安時代に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置し、中世に隆盛をきわめ、現在も山上参りで賑わう。





「紀伊山地の霊場と参拝道」
が世界文化遺産に登録


金峯山寺



参道から・・・・
仁王門と蔵王堂(右手奥)


「国宝」仁王門



「国宝」仁王門



「国宝」仁王門





仁王門(国宝)

 重層入母屋造り、三間一戸の大楼門で、棟の高さ20.3m、桁行12.3m、梁間7mの我が国屈指の山門である
 南向きの本堂(蔵王堂)が山上が岳からの巡礼を迎えるのに対し、この門が逆に北面しているのは、逆峯入りの信者を迎えるため









金峯山寺本堂 蔵王堂(国宝)
参道


80番札所 栖光院



金峯山寺本堂 蔵王堂(国宝)



四本桜・二天門の説明版



四本桜

蔵王堂
 金峯山寺の本堂蔵王堂は修験道の総本山で桜と共に吉野山のシンボルとなっている。
 三体の蔵王権現が本尊でる。現在の建物は高さ34m、桁行七間、梁間八間の重層入母屋造り檜皮葺きで36m四方の安土桃山時代に建立された大伽藍である。

四本桜
 元弘3年2月3日(1333年)大塔宮護良親王が北条勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最後の酒宴をされた本陣跡。 後世になり、桜が植えられ本陣跡として記念されている。


南朝妙法殿

南朝妙法殿(吉野朝宮跡)

 蔵王堂の西側、後醍醐天皇の行宮の跡に南朝妙法殿が建立されており、 南朝四天王並びに忠臣の霊を祀る。
 本尊釈迦如来像は重要文化財。


南朝妙法殿




かねの鳥居


 宮島の朱塗り、四天王寺の石造りと並んで日本三鳥居の一つ。
すべて銅製で、高さ約7.5m。扁額にある「発心門」とは、大峯修験道に入る第一門の意味。山上までに四つの門がある。 この門がいわゆる菩提の心を発するところで修験者はここで俗世間から離れる。





銅の鳥居(重要文化財)



銅の鳥居
扁額に「発心門」


銅の鳥居



黒門方面から「銅の鳥居」



黒門方面から「銅の鳥居」



黒門方面から「銅の鳥居」




黒門くろもん


 金峯山寺の総門で昔は吉野山の関所であった。





黒門坂



黒門



黒門




吉水神社よしみずじんじゃ


 もとは吉水院という格式の高い僧坊であったが、明治の廃仏毀釈により神社となった。
吉野に潜行した後醍醐天皇の行宮所になったり、、源義経や静御前一行が逃げ延びてきたり、太閤秀吉の花見の本陣になったり、数々の歴史を見てきた。
 日本最古の書院造りで重要文化財に指定されている。多数の宝物が拝観できる。





此より吉水院



この駐車場に車を入れることが困難な人も・・・



吉水神社



日本最古の書院



弁慶思案の間



弁慶思案の間



後醍醐天皇玉座



後醍醐天皇玉座



太閤秀吉花見の本陣跡




如意輪寺にょいりんじ


 本尊は後醍醐天皇の信仰が厚かったと伝えられる如意輪観世音。
楠木正行が出陣に際し「かえらじとかねて思えば梓弓・・・・」の辞世の歌を残した扉、その他多数の宝物があり、近くに後醍醐天皇の御陵がある。





如意輪寺



如意輪寺 この下に駐車場あり



如意輪寺 本堂



如意輪寺 本堂



如意輪寺 山門



如意輪寺 庫裡から宝物殿へ



楠木公父子の像



楠木公父子の像



如意輪寺 多宝塔



ねおがみの観音



この台に「ねて」天井の観音を拝む



天井
日本最大如意輪観世御菩薩画像
(ねおがみの観音)



楠木正行公辞世之扉



楠木正行公辞世之扉

「かゑらじと かねておもば梓弓   
    亡き数に入る 名をぞとどむる」


楠木正行公辞世之扉

四条畷の決戦に出発に当たり鏃で辞世の歌を
記した如意輪寺の扉





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