四国八十八ヶ寺お遍路の旅
(第1回 初めてのお遍路お試し)

という旅行社のパンフに誘われて日帰りバス旅行に参加しました。



 パンフのお試しという文字に誘われ、お遍路旅とはどういうものか一度体験してみようと思い参加した。
参加者は大型バス一台が満席の状態だった。

 参加者の中には何回も参加しているお遍路のベテランも何人か居たが、大部分は初めての参加者だ。ただ、これからすべての札所を訪ねることを前提に参加している人だ。

 最初に立ち寄った納経用品店で巡礼用品を買い揃えて、白衣・輪袈裟山谷袋・笠・金剛杖などで変身してスタート。

 本当の意味でのお試し参加は私だけだったのでは・・・

 札所では、本堂と大師堂でローソクと線香をあげ、納め札を奉納し、般若心経など声をそろえて唱える。その後、次の札所へ移動。ゆっくり見学する時間はない。
 旅の目的からすれば当然なのかもしれないがお詣りだけで次々と移動する旅行は私には・・・・
第2回目からの参加は要検討というところか。

 お試し参加はそれなりの成果あり。


平成22年3月2日(火)

名古屋駅太閤口(7:05集合、7:20発)・・・・東名阪名古屋西ICより、新名神経由・・・・草津SA(8:50-9:05)・・・・明石海峡大橋・・・

淡路SA(10:35-10:50)・・・・納経用品店(11:50-12:35)・・・・一番札所・霊山寺(12:40-13:30)・・・・二番札所・極楽寺(13:35-14:20)・・・

三番札所・金泉寺(14:30-15:05)・・・・四番札所・大日寺(15:15-15:50)・・・・五番札所・地蔵寺(15:55-16:30)・・・・

明石海峡大橋、淡路ハイウエイオアシス(1:45-18:15)・・・・新名神、甲南PA(20:05-20:20)・・・・名古屋駅太閤口(21:40)着





明石海峡大橋


大鳴門橋


明石海峡大橋
淡路サービスエリアより




竺和山 霊山寺(四国第一番札所)

宗派 : 真言宗高野派
本尊 : 釈迦如来
真言 : 「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
詠歌 : 「霊山の 釈迦のみ前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり」


 奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開いたお寺です。 その後、弘法大師が四国巡錫の時、こちらで21日間修業された際、天人があらわれ、「人々を救うため88ヶ所を開かんと願うならば、 ここを第一番と定むべし」と告げて姿を消しました。そこで、釈迦如来を刻み、天竺(インドの霊山)を日本に移すというところから竺和山霊山寺と号し、 四国第一番の札所とされたものです。
 戦国時代、長宗我部の戦乱のために焼け、明治時代にも火災に遭いましたが、現在は全て再建復興されており、札始めにふさわしい立派なお寺です。




四国一番札所 霊山寺


四国一番札所 霊山寺山門


四国一番札所 霊山寺山門


四国一番札所 霊山寺本堂


四国一番札所 霊山寺本堂天井絵


四国一番札所 霊山寺本堂天井絵


四国一番札所 霊山寺


四国一番札所 霊山寺



日照山 極楽寺(四国第二番札所)

宗派 : 真言宗高野派
本尊 : 阿弥陀如来
真言 : 「おん あみりた ていせい からうん」
詠歌 : 「極楽の 弥陀の浄土へ 行きたくば 南無阿弥陀仏 口癖にせよ」


 弘法大師が四国巡錫の途中、こちらで21日間、阿弥陀経を唱えて修業されたところ、満願の日に阿弥陀如来があらわれましたので、 ご本尊として阿弥陀様を刻まれました。 阿弥陀様のお顔は穏やかで、慈悲の光はかくかくと輝き、その光は海辺にまで及び、そのため漁をする漁師はまぶしさに仕事ができませんでした。 そこで光を遮るため本尊の前に小さな丘を築いたところから、山号を日照山と呼ぶようになったものです。
 天正年間に戦乱のため焼けましたが、本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代の作で、国の重要文化財となっております。




四国二番札所 極楽寺


四国二番札所 極楽寺 長命杉


四国二番札所 極楽寺


四国二番札所 極楽寺 大師堂


四国二番札所 極楽寺


四国二番札所 極楽寺 本堂への石段



亀光山 金泉寺(四国第三番札所)

宗派 : 真言宗高野派
本尊 : 釈迦如来
真言 : 「のぅまく さんまんだ ぼだなん ばく」
詠歌 : 「極楽の 宝の池を 思えただ 黄金の泉 澄み湛えたる」


 奈良時代、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が建てたお寺です。 その後、弘法大師が四国をまわられた時、黄金の泉が湧き出たところから、金の泉の寺、金泉寺と名づけられました。
 今からおよそ800年前の源平の昔、源氏の大将の源義経は一ノ谷から四国に向かい、今の徳島県小松島に上陸し、平家を追って讃岐の屋島に向かいました。 その途中、この寺に立ち寄り休憩した時、弁慶の力を試すため、境内にあった大きい石を持ち上げさせました。 その『弁慶の力石』は、今でも境内に残っています。




四国三番札所 金泉寺


四国三番札所 金泉寺 本堂


四国三番札所 金泉寺 大師堂


四国三番札所 金泉寺 観音堂


四国三番札所 金泉寺 黄金地蔵尊


四国三番札所 金泉寺 弁慶の力石



黒厳山 大日寺(四国第四番札所)

宗派 : 真言宗高野派
本尊 : 大日如来
真言 : 「おん あびらうんけん ばさらだどばん」
詠歌 : 「眺むれば 月白妙の 夜半なれや ただ黒谷の 墨染めの袖」


 昔、弘法大師がこの地で長らく修行されておりましたところ、大日如来があらわれましたところから、1寸8分の仏像を刻まれてご本尊とし、 お寺の名前を大日寺とされたものです。
 長い年月の間に幾度か廃寺になったりもしましたが、その度に復興して現在に至っています。




四国四番札所 大日寺


四国四番札所 大日寺 ご本尊


四国四番札所 大日寺 三十三観音像


四国四番札所 大日寺 大師堂


駐車場の案内板



無尽山 地蔵寺(四国第五番札所)

宗派 : 真言宗御室派
本尊 : 勝軍地蔵菩薩
真言 : 「おん かかかび さんまえい そわか」
詠歌 : 「六道の 能化の地蔵 大菩薩 導き給え この世後の世」


 五百羅漢で有名な、5番札所の地蔵寺です。今から1200年ほど前、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開かれたお寺です。 昔は阿波のみならず、讃岐、伊予に300余りの末寺がある大きなお寺でしたが、戦国時代に戦乱のため焼けてしまいました。 しかし、今でも境内は大変広く立派なお寺で、本堂の裏手には、奥の院五百羅漢さまがあります。羅漢とは、まだ仏様には達しませんが、 修行中の人間の中では一番功徳を積んだ学者、即ち人間の中では最高の位にあります。
 人間の喜怒哀楽の表情をいろいろあらわしたのが、この五百羅漢です。 それは、仏につかえ修行するお坊さんの顔です。それだけに親しみがあり、自分に似た顔が一つはある筈です。




四国五番札所 地蔵寺


四国五番札所 地蔵寺


四国五番札所 地蔵寺 大銀杏


四国五番札所 地蔵寺 地蔵寺 本堂


四国五番札所 地蔵寺


四国五番札所 地蔵寺 大師堂























inserted by FC2 system