伊勢湾台風から55年 名古屋で慰霊祭

 五千九十八人の死者・行方不明者を出した伊勢湾台風の被害から五十五年を迎えた二十六日、東海地方の各地で慰霊祭などが営まれた。被害の大きかった名古屋市南区では慰霊碑に手を合わせる市民の姿がみられ、犠牲者の冥福を祈るとともに防災への決意を新たにした。

 南区柴田町にある犠牲者を慰霊する「母子像」には、朝から遺族や地元の住民が次々と訪れた。周辺で亡くなった九百二十六人の氏名を刻んだ石の台座は今月、白い塗料で塗り直されたばかり。静かに目を閉じ、指でゆっくりと肉親の名をなぞる人もいた。

 同区元柴田東町の無職大脇三恵子さん(65)は、夫の祖母ひでさんの遺族で、自身も十歳で被災した。「『生かされている』という思いを強く持って生き、この年まで来ました。悲劇を知らない世代も増えたので、しっかり語り継いでいきたい」と話した。

 千八百五十一人の犠牲者を出した名古屋市の慰霊祭は千種区の平和公園で開かれ、河村たかし市長や市議会の鵜飼春美議長、市幹部職員ら二十三人が慰霊碑の前で一分間黙とうし、一人ずつ花を手向けた。市長は今後の防災対策について「伊勢湾台風クラスが来た時に、堤防の内側に水を一滴も入れない防災ができれば。一人一人が過去の水害の歴史を学び、振り返ることも大切だ」などと語った。

 三重県四日市市では沿岸部の公園内にある慰霊碑前で、犠牲者の遺族や行政関係者ら三十六人が参列して慰霊献花式が開かれた。田中俊行市長は「記憶を風化させることなく、次の世代に伝えていく」と式辞を述べた。市によると、伊勢湾台風で市内では百十五人が犠牲になった。一歳一カ月の長女を亡くした関京(みやこ)さん(81)は「あの子のことは片時も忘れません」と話した。

 伊勢湾台風は一九五九年九月二十六日夕、紀伊半島に上陸。愛知、三重両県を中心に甚大な被害をもたらした。

中日新聞 9月26日 夕刊

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夫の祖母の冥福を祈り、母子像の前で手を合わせる大脇三恵子さん。自身も10歳の時に被災した=26日午前、名古屋市南区柴田町で(太田朗子撮影)
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