目比川を渡り愛西市の旧佐織地区に入る。
ヨシヅヤを過ぎて、交差点を渡るとまた道幅が狭くなる。まもなくすると旧道は突き当たり左に曲がることになる。
三叉路の曲がり角地点には道標が建てられている。「左つしま道」「右なこや道」とあり、道標の指図通りに左に折れて津島へ向かう。
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愛西市(旧佐織町) |
勝幡の街並み |
愛西市(旧佐織町) 合併前の標識も残る |
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勝幡の街並み |
愛西市(旧佐織町) |
三叉路の道標(東から西) |
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「左つしま道」 |
「右なごや道」 |
天保六年 未六月吉日 |
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勝幡の街並み |
三叉路の道標(南から北) |
勝幡の街並み |
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愛西市(旧佐織町) |
勝幡の街並み |
旧佐織郵便局 大正時代の建築 |
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三宅川、日光川と続けて渡り右に曲がる川沿いを数歩歩いてすぐ左に入る。
ここからの旧道はかなり蛇行しながら津島へ向かうことになる。
左手の道へ入ると左にカーブし、今度はゆるやかに右にカーブする。この付近はなかなか風情のある道である。
右にカーブしながら道路を横断する。
狭い道へと入り道なりに左へ右へカーブするとちょっと広い道に出る。
そのまま道路を横断し、正面の入ると左へカーブして南へ下っていく。
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日光川から左に入る |
旧街道の雰囲気ある街並み |
旧街道の雰囲気ある街並み |
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旧街道の雰囲気ある街並み |
旧街道の雰囲気ある街並み |
旧街道の雰囲気ある街並み |
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旧街道の雰囲気ある街並み |
旧街道の雰囲気ある街並み |
旧街道の雰囲気ある街並み |
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旧街道の雰囲気ある街並み |
かなり古い農耕道具 |
愛西市(旧佐織町) |
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まもなくすすると右手に釜地蔵寺がある。継子いじめにより釜に入れられ、その子の身代わりとなったと伝えられている尾張六地蔵の一つ釜地蔵寺である。
すぐに広い通りに出るが、角には「右名古屋道 左森上一宮道」と刻まれた道標がある。
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旧街道の雰囲気ある街並み |
津島道 |
「右名古屋道 左森上一宮道」 |
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間もなく中央分離帯のある県道にでる。県道を越えると右手駐車場に「是より西つしま」の道しるべ。
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中央分離帯のある県道の 向こうに続く旧街道 |
駐車場脇の道標 「是より西つしま」 |
旧街道の雰囲気ある街並み |
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名鉄尾西線の踏切を渡ると兼平町。兼平町には格子のある建物も残されている。
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兼平町、北町、米町、米之座、本町と昔ながらの町名が続く。
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北町はもと「北口」といった。名古屋から津島へ入る「上街道」の北の入り口にあたるからで木戸があって木の柵が結わえてあった。(下街道の入り口、今市場にも木戸があった。)町の東側にある雲居寺は永享十二年(1440)服部伊賀守が建てた寺でその子孫の小平太は織田信長に仕え桶狭間の戦いで今川義元に一番槍をつけた勇士である。西側にある大龍寺は後醍醐天皇のひ孫良王が父尹良親王のために建てた寺で明徳二年の宝篋印塔もある。米之座には良王親王伝説地があって社が建てられてい「オゲンコサマ」と称している。この前の細い道を「王の瀬古」と呼んでいる。「瀬古」とは狭い道のことである |
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北町 |
旧上街道本町交叉路。 旧上街道は今の兼平北町米之座をへて市神社(市神様)を通り本町通りへと入ってきた。古くは米の市場(座)が開かれたようで商売(市)の神様として信仰されている。小の上街道は堤の上お道でここから西へ下った所には米や石材などの船着場があって、このあたりは昔は「揚の切り」とよばれていて湊町津島の北の端だったといわれている。国の天然記念物「大むく」の木は昔の天王川の東堤にあった「津島御殿」の周囲に植えられたものといい船頭たちの目じるしになっていたといわれている。 |
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市神社 |
本町 |
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津島市指定祖先の遺産。 上切の井戸。 津島地方は、木曾川の豊かな水がもたらす伏流水が多く、井戸には恵まれた土地であった。津島の古地図にはいくつかの町角に、辻井や井戸が記入されている。これらの井戸は、通称本抜井戸と呼ばれ、湧き井戸で、江戸時代は近隣住民の共同井戸であった。 この井戸は古書によれば、津島天王祭の船や屋台を連結するのに使用するわら縄を編む際の、打ち水に使用したとの記録もある。花崗岩の立派な石組みを持った古井戸である。 |
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清正公遺 清正公社への道標 |
上切の井戸 |
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津島上街道。 織田豊臣時代から名古屋北西部より清洲、甚目寺、木田、勝幡をへて津島へ入る道で街道の両側にみられる家のつくりは昔のようすを残している。とくに今から百三十年ほど前(江戸の天保年間)には伊勢参りとともに天王さまへのおまいりの道として記録にも残されている。「津島まいらねば片まいり」といわれた時代の主な街道として紗耶香移動とともに大いに利用されていた。今の「本町通り」の知名は当時栄えていた町並みであることを表している。 |
旧津島信用金庫本店
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旧上街道 |
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天王通を横切ると、すぐ「津島神社参宮道」の道標。
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橋詰め三叉路。 上街道下街道の交わったところで、これらの街道や巡見街道から天王様まいりの人々でにぎわう橋詰町の入り口であったため大きな道しるべが立てられた。江戸時代には津島天王まいりでにぎわい、その後も津島の中心地であった。自然堤防の上に発達したまがりくねった道、こうしのはいった店の家並みは数百年の昔のおもかげをそこしている。 |
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津島神社 |
本殿 |
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大いちょう。 県の天然記念物およそ600年の年月がたっており乳房がたれ下がっている。この大いちょうの右手奥(北)には宝寿院(西寺)や実相院、明星院などがあった。実相院、明星院の宝物などは宝寿院に集められている。神社の東五〇メートルにあるお旅所の大いちょうも高さ二十二メートル以上に及んでいる。 |
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大いちょう |
新川開削頌徳碑 |
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