東海道(その2)

吉田宿から御油宿
平成21年10月22日(木)

飯村の一里塚からトラックの往来が多国道1号線と合流、約1時間。
吉田宿の入り口東八町交差点に到着。(13:55)


吉田宿

 吉田宿は東海道五十三次三十四番目の宿場町で、江戸日本橋より73里余(約289q)、東の二川宿へ1里20町(約6.1q)、西の御油宿へは2里22町(約10.2q)の距離。吉田は宿場町としてだけでなく、城下町、湊町としても栄え、東海道沿いの表町十二ヶ町と裏町十二ヶ町の計二十四ヶ町で構成された。宿内は軍事目的から、見通しを避けるためいくつもの曲がり角があった。町並の長さは東西南北23町30間余(約2.5q)、天保14年(1843)の「東海道宿村大概帳」によれば、人別5,277人(男2,505・女2,772)、家数1,293軒の内本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋65軒でした。
 現在宿場の様子はすっかり失われたが、東海道の道筋は一部を除いてたどることができ、町名などが当時を物語っている。付近の豊橋公園には吉田城や美術博物館などがあり市民の憩いの場として親しまれている。   (二川宿本陣資料館パンフより)




  

吉田城下の略図

歩道橋で国道1号線を渡り、右の曲がって階段を下りると「吉 田城東惣門」がある。
惣門を右に見ながら進み、すぐ(鍛冶町)右に曲がる。


東八町交差点の歩道橋の上

右側が国道1号線(今歩いてきた道)
左側は豊鉄東田線。この道を行けば多米峠。


秋葉常夜灯

 文化2年(1805)吉田宿東惣門前(現在の東八町交差点付近)に建てられた。
 以来「新町の大灯籠」として吉田の名物の一つになった。


秋葉常夜灯の説明版


秋葉常夜灯


東惣門の説明板


東惣門(ミニチュア)


曲尺手門跡碑


吉田宿碑


吉田城大手門跡碑

正面突き当たりは、豊橋公会堂


豊橋市道路元標


吉田宿問屋場跡碑


吉田宿本陣跡説明板


鰻屋の前に吉田宿本陣跡碑


脇本陣跡碑

本陣跡の向側


国道23号線交差点に立つ吉田宿


吉田宿西惣門

国道23号線交差点に


豊橋(とよばし)旧東海道に架かる橋

国道1号線に架かる吉田大橋は此の南側

豊川堤防に建つ句碑


豊川堤防に建つ句


聖眼寺


聖眼寺にある松葉塚


聖眼寺にある松葉塚

「ごを焼いて 手拭あぶる 寒さ哉」


下地辺りの町並


下地辺りの町並


瓜郷遺跡


瓜郷遺跡


瓜郷遺跡


子だが橋


子だが橋碑


JR飯田線小坂井駅

旧東海道踏切より


伊奈立て場茶屋跡


伊奈一里塚

太鼓屋さんの店の前



  この先はまた国道一号線に合流し特に見所間なさそうなので、本日はここで終了。(16:45)
名鉄伊奈駅まで戻り帰宅する。

名鉄伊奈駅、(17:00)
17:13発の普通、国府で特急に乗り換え家路に・・・
歩数計:40,500(二川宿〜伊奈駅+家から名鉄往復)


















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